特集 保健婦とユニホーム
私にとってユニホームとは
制服はあってもいいが着る側の自由を
水野 優子
1
1北海道美唄保健所
pp.545-547
発行日 1975年9月10日
Published Date 1975/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205632
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制服を着ない保健婦なんて
広々とした事務室に机一つ与えられ,20年来保健婦のいなかった市役所に,何のためらいもなく私1人が赴任した時のことは,今思えば当時の学院での教育もさることながら,少し大げさに言うなら保健婦業務をそこに定着させなければならないという悲壮な決意があったのかもしれない。もちろん初代だから制服なんてないし,「保健婦って何をするのか」と言う周囲の好奇の眼を意識せずにはいられなく,何とも制服が仕立上がるまでは保健婦でないような気がして,地域には出ず,机上のプランばかりやっていたものだ。
ようやく待望の制服が出来上がり,これで一人前とばかり,日常生活のすべてが保健婦として拘束されなければならないと,土曜日の午後など部落からまっすぐ恩師を訪ねる2時間余りの車中も制服姿で意気揚々と出かけたものだ。だからときどき通勤に着て通ったりしたことも,"あの人は保健婦だ"というレッテルを自らにはって,住民にその存在を浸透させることが第一だと意図してのことであった。と同時に"私は保健婦だ"という職業意識が強かったとしか言いようがない。
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