特集 不死烏としてはばたく保健婦
財団法人ひかり協会ができるまでの歩み
"文化祭"にも意欲的に
野坂 忍
1
1事後調査の会・近江八幡市立岡山小学校
pp.592-594
発行日 1974年9月10日
Published Date 1974/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205521
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"はばたけ"の会合がきっかけに
私が,森永ミルク中毒で今なお生命がむしばまれ苦しんでいる人達が,たくさんいることを知ったのは大阪府,市との保健婦学校の同期生のあつまり"はばたけ"の会合であった。
そういえば昭和30年の小学5年生頃,ミルクを吐いたりする乳児が続出していると報道されているのを,人づてに聞いた気もするが,さだかではない。会に参加された,大阪大学衛生学教室の丸山教授の言葉が,心に残った。帰路"そんなことがあったのか","何とかならないものか……何とかせねば"とあせりが胸いっぱいに広がってきた。医学の一端にたずさわる職業を選びながら,何も知らなかったことがとても恥ずかしいと感じられた。
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