1さつの本
—司馬 遼太郎 著—生きかたの目標の一つ"峠"新潮社
重久 房子
1
1鹿児島県中央保健所
pp.452
発行日 1973年6月10日
Published Date 1973/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205311
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保健婦雑誌から,この原稿の依頼があったとき,私の頭をチラッとかすめたのは,4年ほど前に読んだ"峠"であった。"峠"は徳川300年の政治体制をゆるがした幕末から明治維新にかけての激動の時期に,実力ゆえに一介の武士から,長岡藩の筆頭家老にまで抜てきされ,その藩の運命をになって命をかけた英傑,河井継之助の生涯を,その強烈無比の精神と行動を描いた物語である。
そのなかでいまでも思い出されるのは,継之助が古賀塾で学んでいるとき,鈴木佐吉という少年がいて,継之助をしたっていた。ある日八百善という料理屋に少年をつれていった。八百善は江戸大奥の御用達を命ぜられている料理屋だから,継之助のような書生ふぜいが出入りする店ではないが,十分顔がきく。その門内のみちを歩きながら,鈴木少年がおびえたように,「いいのでしょうか,こんな立派なところに」といったら,継之助は「たかが料理屋だ,人間は死ねば,地獄にも極楽にもゆかねばならぬのに,この世で,たかが八百善ぐらいに驚いては,この稼業はつとまらない」「稼業とは」「人間という稼業だ」「たかいでしょうね,心配でございます」「武士は値の高下をいわぬことだ」「それはちょっと矛盾ではありませんか」と佐吉は首をひねった。
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