ものがたり・日本の医学・事始・11
司馬凌海
しまね きよし
pp.85-87
発行日 1967年11月1日
Published Date 1967/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917465
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■凌海の末娘,文子
能楽の喜多流家元,喜多六平太は,明治28年に林文子と結婚した。六平太が22歳,文子が21歳であった。文子は江戸時代から続いた囲碁の家元林家の養女で,六平太と結婚したときは,方円社から三段を許されていた。方円社は明治12年に創立された囲碁界の公的機関である。それが改組されて,日本棋院となる。昭和25年に文子が75歳で死亡したとき,棋院はその生前の功を讃えて,七段位を贈った。
文子は小さいときから変わった子どもであった。剛情で無口であった。親が教えることを,けっして覚えようとしなかった。小学校へ通うようになっても,その態度は変わらなかった。学校を無断で欠席し,どこかで時間をつぶし,夕方になって家に帰ってくることもしばしばであった。試験を知らずに,例のように,遊んでいると,病気ではないかと学校から連絡がきていた。母は文子にきびしい折檻を加えた。
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