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40年の区切りにみる日本史—坂の上の雲—司馬 遼太郎 著
甲斐 幸作
1
1結核研究所附属病院臨床検査科
pp.1276
発行日 1986年11月1日
Published Date 1986/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543203905
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明治初年の日本ほど小さな国はない.産業は農業しかなく,人材といえば,三百年の読書階級であった旧士族しかいなかった.この小さな,世界の片田舎のような国が,初めてヨーロッパ文明と血みどろの対決をしたのが,日露戦争である.その対決にかろうじて勝った.その勝った収穫を後世の日本人は食い散らしたことになるが,とにかくこの当時の日本人たちは精一杯の智恵と勇気と,そして幸運をすかさずつかんで操作する外交能力の限りを尽くして,そこまで漕ぎつけた.今から思えば,ひやりとするほどの奇跡といっていい.その演出者たちは,数え方によっては数百万もおり,絞れば数万人もいるであろう.その代表者を顕官の中から選ばず一組の兄弟に選んだ.伊予(愛媛県)松山の人,秋山好古と秋山真之である.この兄弟は,奇跡を演じた人々の中で最も演者たるにふさわしい人であった.
ロシアと戦うに当たって,どうにも日本が敵しがたいものがロシア側に二つあった.一つはロシア陸軍において世界最強の騎兵といわれたコサック騎兵集団で,いま一つはロシア海軍におけるバルチック艦隊であった.運命が,この秋山兄弟にその責任を負わせた.兄の好古は世界一ひ弱な日本騎兵を率いざるをえなかった,騎兵は彼により養成された.彼は心魂をかたむけてコサックの研究をし,ついにそれを破る工夫を完成し,少将として出征し,満州の野において凄惨極まりない騎兵戦を連闘しつつ,かろうじて敵を破った.
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