Medical Topics
新聞労働者の鉛中毒症
山田 信夫
1
1氷川下セツルメント病院
pp.66-68
発行日 1972年9月10日
Published Date 1972/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205145
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放置されていた職業病
1970年5月に発生した"柳町排気鉛公害"を契機に,日常不断に鉛を取り扱っている新聞労働者たちは,自らの健康状態と職場環境との関連について,自主的に調査を始めだした。私はこの調査の医療部門を担当した1人として,本欄では,いわゆる三大新聞社に発生した鉛中毒症について報告する。更に,保健婦の方々の,なかでも製造部門の労働者の健康管理という,制約の多い労多き分野で,日々奮闘されておられる方々のご活動上に,なにかのお役にたてば幸いである。
鉛中毒は有機溶剤中毒とともに,世界的規模で,特に工業先進国で多発し,増加しつづけている職業病の双壁をなしている。鉛中毒は有機溶剤中毒よりその歴史は古く,発生の因果関係についての医学的認識は,2000年以上もさかのぼって始まっている。産業革命を経て(この時代の鉛中毒の発生状態は,エンゲルスの"イギリスの労働者階級の状態"中に詳しく記載されている),鉛を取り扱う産業,労働人口が多数となったため,この職業病の予防措置,補償の問題は国家的課題となり,こうした社会情勢は,1921年創立当時のILOでの国際条約となって現われている。わが国での国家的措置としては,1967年4月より実施されている"鉛中毒予防規則"がある。
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