連載 保健指導を科学する・2
保健指導方法論から
田中 恒男
1
1東大・保健学科
pp.79-80
発行日 1966年3月10日
Published Date 1966/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203613
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このケースで一つのポイントは,いわば正規の医療と民間療法的な医療とのトラブルであろう.そしてまた,結核症というものについての未熟な理解に対する説得の困難性であろう.こういった例は,他に宗教とのトラブルにもみうけられる.しかし,なぜ患者はともするとこうしたみちを歩むのであろうか.
たしかに結核症であつても,自然治ゆ的な経過をとることもあるだろう.その可能性をもし疑つて指導をすすめるなら,まず患者家族の反発をかう(特に父親の)のは必至である.体験ほどつよいものはない.人間はその体験を合理化し,自分なりの説明をつけようとする.そして,波多野姉の解説にもあるように,その論理が一軒の生活を支配するようなことにもなる.一人は父親にかくれなけば治療ができなかったという事実は,そのことを裏書きするし,さらにこの不合理な論理に根拠を与えたのはもう一入(次女)の化学療法をしながらの死亡である.こうなるとますます父親の論理は強さをましてくるだろう.現在のところ,皆D3で,なんらの処置を必要としない状況になっているという証拠もある.このような偶然が重なってくれば,ますます鰯の頭も信心から,という状況に追いこまれるだろう.
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