特集 シンポジウム
わが国公衆衛生看護活動の史的考察—第22回日本公衆衛生学会第3分科会シンポジウム完全収録
箕田 あさの
1
,
石本 和子
2
,
小原 かつ子
3
,
中野 トシノ
4
,
大西 百々代
5
,
前谷 キミ
6
1愛知県立看護学院
2大阪市西保健所
3岡山県勝田郡勝央町役場
4福井県鯖江保健所
5大阪府守口保健所
6香川県衛生部医務課
pp.109-131
発行日 1966年2月10日
Published Date 1966/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203586
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司会(箕田あさの) これから第3分科会シンポジウムを始めさせていただきます.私が司会を仰せつけられました箕田でございます.よろしくお願いいたします.(拍手)
わが国の保健婦の活動の発祥をたずねますと,都市では東京,大阪などで大正7,8年ごろから巡回産婆,児童相談所,産院,乳児院などを根拠といたしまして巡回指導が始められており,農村では昭和5,6年ごろから農村の疲弊を救うために,東北,関東,近畿などで訪問看護や訪問診療の形で始められて,それ以来およそ50年に近い年月を経て今日を迎えているのでございます.その間,戦争という大きな試練にあい,16年に保健婦規則の制定をみまして,終戦後の23年には保健婦,助産婦,看護婦法の制定をえて,資格上の身分を確立してまいりました.そして公衆衛生の大きな流れとともに発展をつづけてまいりましたことは,みなさまもご承知のとおりでございます.しかし,進歩,発展したことを認めながらも,私どもは毎日の仕事の合い間に,保健婦はなにをしてきたのだろうかとか,自分たちの仕事であるこの仕事を正しく育ててきたのであろうか,そして将来どのような方向づけが必要なのだろうか,というようなことを考えさせられるのでございます.これはおそらくみなさま方も同じ思いでいらっしゃるのではないかと存じます.
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