随想
このひとびとに救いを—つぎつぎと結核で倒れた家庭の例
清水 ちよ子
1
1群馬県伊勢崎保健所
pp.45-47
発行日 1961年10月10日
Published Date 1961/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202429
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終戦前の機業界に,やや手狭ながら堅実な企業家として,織物業を受け継いでいた小堀夫妻は,社会の荒波など考えてみた事もなく幸せな道を歩いて来た.1男4女に恵まれて,次女が女学校を終え,3女が高校入試の準備中であつたのは昭和26年11月頃である.終戦後のインフレの波を受けて織物業界はすでに不況に沈みかけていた.小堀家は家業を縮小して,何台かの織機が淋しく動いていたその頃,主人は家業の傍ら織物会社の一員として席を置いていた.機業特有の派手な生活は急に変える事もならず,毎晩のように客と酒にひたり,生活もそろそろ手一杯となり初めた頃であつた.長女,良子(20歳)が肺結核と診断された.
次女,幸子(17歳)もすでに23年に発病し,パスの服用をしながら,療養計画もなく,家事を気儘に手伝つていたが,良子は最初から重症で高熱に悩まされ,見る見る衰弱が目立つていつた.その枕辺には幼い頃から弾きなれた外国製の小さなピアノが置かれ,終戦後の当時では目を見張るような夜具の美しさだつた.過ぎた頃の名残りはまだ濃く,母は毎目長女の病衣をかえてやり,食事は遠くから取りよせてまで栄養物を摂らせるという心遣いに,深い愛情がこもつていた.
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