特集 看護制度10周年を記念して
今日の保健婦に希う
真島 智茂
1
1八幡製鉄ヘルス・センター
pp.28-31
発行日 1958年7月10日
Published Date 1958/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662201680
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看護制度10周年記念のため保健婦事業の思い出を綴る機会に恵まれました事を喜んでいます.この働きを開眼賜りました恩師の方,御援助賜つた方,農山漁村末端で働いて下さつた姉妹達,激務のため故人になられた方,現在活躍して頂く皆様の御協力に感謝しつつ,過去を顧りみますと春秋去来,幾多の事故も夢のようでございます.懐しいことや悲しいこと怒りおののき交々であります.
私は九州の田舎に生まれ女学校を卒えて京都看護婦学校に入学いたしたのは明治42年の春でした.この学校は同志社病院附属の日本最初の看護婦学校であります.校長佐伯理一郎先生(96才にて物故されました)同志社女学校からミス・デントン先生が栄養学,殊にビタミンの作用を講義せられたときは奇異の眼を交わしたことを思い出します.看護に,スポンジバス,全身洗拭法にマツサージ併用,木村清松牧師からは神に仕える道をとかれ,看護は機械でない智識がいかに高く技術が優れていても,愛なくば,それは唯機械のようなものだ.健康こそ人生最大の幸福,人生で最大の不幸は病である.人を愛せよ,自分も愛さる,人の喜びを己れの喜びとせよ,希望に充ちた私共姉妹は唯感激のみでありました.私のかたくなな性質は看護婦になつたのでとけたのです.今日の生涯の幸福は京都時代に植えられた賜と感謝しています.かくして私は大正11年英国に渡る機会に恵まれて看護各科の講習科にて専門教育を受けました.
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