音樂講座
邦樂(その2)
山本 金雄
1
1NHK合唱團
pp.49-50
発行日 1953年8月10日
Published Date 1953/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200579
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江戸時代の中の元祿時代(洋樂ではバツハ・ヘンデルの時代)が上方中心の音樂であれば,60年をえた寳暦時代は(洋樂では古典派音樂の時代でモーツアルトベートーヴエンが生れた頃にあたる)漸く文化の中心が江戸にうつり,思想・学問の自由な時代であったが経済生活は不自由な苦しい時代でした.京の音樂が江戸に入つてくると,そのままの形ではなく江戸風な教養・趣味・性格によつて色々にかわつて行つた.
上方の一中節が豊後節になり江戸に入つて富土松節,さらに鶴賀若狹の椽が新内節を,常磐津文字太夫が常磐津を,宮本豊前椽が富本節を創設した.地唄の中の上方長唄が江戸に入つて歯切れのよい,いきな江戸長唄となつた.この頃「京鹿子娘道成寺」が作曲された.その江戸長唄から荻江節ができ,地唄の一種として作物という「荒れ鼠」「狸」「蛙」等頓智とユーモアをもつたおどけたものがさかんになつた.降つて寳暦時代より更に60年をえた文化文政時代(ロマン派音樂の生れた時代でモーツアルトの晩年ベートヴエンの全盛期でシユーマン・シヨパン・ヴエルデイの活躍していた頃にあたる)ともなると,江戸文化の最高潮に達した欄熟期で,泰平がつづき,武の時代から,文の時代となつた.豊後節・富本節から出た清元は溝元延壽太夫により創設された淨瑠璃で非常にイキな粋な音樂であつた.
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