講座
—VDコントロールフロント—性病豫防戰線—アメリカノートより
若松 榮一
pp.11-15
発行日 1952年2月10日
Published Date 1952/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200226
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坦々たる國道23號線を既に1時間も走つている。50哩以上のスピードで飛ばしているので車がすれ違う度毎にピユッ,ピユッと室氣をひねる樣な音を立てる。郊外に出ると道路は車の走るもので人が歩くものではないと見えて,所々のガソリンスタンドのある場所の外は人影もない。今日はジョージア洲の衞生部の性病課長のボードイン氏が洲立の性病病院を見せてくれるというので案内して呉れたのである。先生は小兒まひでもやつたとみえて手足が少し不自由なので課員が運轉している。出發する前に新聞記者とインタヴユーして日本の性病豫防關係の仕事について答えた話の續きから日本の絹の話,蠶の病氣はどうして豫防するか,絹からナイロンに移つて,彼の着ているナイロンのシャツの得失などと他愛ない話をしている。僕が日本では月給50弗位貰つて生活しているというとびつくりしてそれは週給ぢやあないのかと不思議がる始末,ほらごらん山が見えるよと如何にも物めづらしそうな云いぶりで指さす方向に成程遠く洗面器をさかさにした樣た山影というか丘みたいな物が見える。恐らくブルーリッヂ山系の端の方なのだろう。アメリカ中部東部に住む人達には山というものを見た事のない人が多いのだろうが,我々日本人には山のない風景が珍しいのだから一寸ヒントが合わない。國道から一寸横道にそれて,小高い丘を昇つて見晴しのいゝ高臺の上の立派な病院についた。
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