論説
性病豫防法の公布に際して
野邊地 慶三
pp.323-324
発行日 1948年10月25日
Published Date 1948/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200352
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本誌第4巻第2號の表紙所掲のポスターに見られた如く,米國の梅毒罹患率は壮者10名に1名の割合であり,又淋病の蔓延度は大體其倍と見識されて居る。我國結集團の梅毒反應檢査成績の平均も都市の壮者間の本病罹患率は大體米國と同率であり,又淋病の梅毒に對する比率も同情勢にあるものと考えられて居った。然るに敗戰以來の人心の弛緩,風紀の頽廢は上述の如き性病蔓延を更らに増惡すること必至である。第一次世界戰爭後獨逸,英國其の他歐州諸國は性病流行に惱み,殊にルーマニアの如きはワツセルマン反應100%に垂んとする事態に陷り,其の對策に腐心したものであつたが,我國も亦これと軌を一にする情勢に立至るのではないかと識者を憂慮せしめて居る。
New Yorkの衞生局長として命名のあつたThomas Parran氏は,其共同作業者と共に行つた徹底した性病の疫學的研究に基いて性病は其の感染追跡によつて傅染源を發見し,之に豫防的治療を加えて非傳染源化することによつて共の根絶が期されるものとなし,社會衞生と云ふ擬態の下に行はれた從前の微温的性病豫防事業に挑戰し,本病は急性傳染病封策と同一方法に從つて民衆に本病の實態を教え白日の下に之と戰ふべきものであることを主張したのであつた。後に全米國の衞生事業に聲令を行ひ得る連邦衞生局長に就いた時氏は全米國を性病の浄土とする理想を高く掲げ,連邦衞生事業の焦點を性病豫防に置いたのであつた。
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