講座 精神衞生
物いわぬは腹ふくるゝわざ—抑壓の話
土井 正德
1
1最高裁判所
pp.8-12
発行日 1951年3月10日
Published Date 1951/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200049
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Tさんは,お勤めのかたわら裁判官の受驗準備をしている近代婦人である。肋膜炎ではないかと相談にきた。型通りの診察をしたがそれらしい病状もない。大丈夫です安心したのであろう。いろいろ世間話の末に打明けた獨身のTさんは家の二階の一室に間借り生活をしている。離れの六疊にも矢張り間借りの夫婦がいる。家を出るのも,歸宅するのも,お互いに時間がずれあつてめつたに顔を合せることもない殆ど自分と同年輩の妻女を,始め男の人の姿を見ないうちは,自分と同じ生活の人かと思つたそうだが,やがて四十には2,3年,間のある年格好の夫があり,その夫は數年來の肺患らしく,寢たり起きたりの療養生活であることもわかつた。Tさんとは別に親しい往來もなく,何事もなかつたのであるが,昨年の秋頃からは何となしに,低氣壓を感じだした。といつてその前ころから盛に日本を襲つていた。多くの女性(台風)の氣紛れな訪問ではない。離れから洩れてくる。疳高い聾の調子がいやにとげとげしくひびくのである。「何ぼ鈍感な私だつて,七,八回そんなことがつづくと,氣がつきますわ」と訴えるのである。それはきまつて土曜日の夜のことである。その日はTさんは半ドンなので銀座をまわつて歸つても,いつもよりずつと早い。Tさんは疎ばらな庭の植込みの間をとおつて自分の室にくるのであるが,離れの病主人と顔をあわせるのはその時である。
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