プロフィル
〈ジワン=カラ=ライ〉ICU看護を学ぶネパールの看護婦—「チームナーシングを学べたことが一番の収穫」
吉
pp.585
発行日 1981年5月1日
Published Date 1981/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919248
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アフリカ諸国で現地軍に雇われた外人部隊が戦闘に加わっているとの報道がよくされるが、ネパール人は勇敢で剛健、食糧事情が悪くても耐えられるということで、私兵ではなく国から認められた形で各国の軍隊で働いている。ライさんの父親もマレーシア、シンガポール、ホンコンなどで軍人として働いた。そのため十七歳でネパールに行くまで、東南アジア各国のネパール人コロニーで生活した。
高校を卒業し、今は大学となっている看護学校で三年半学ぶ。その後結核療養所、地方の病院を経てカトマンズの病院で働いた。現在も所属しているBIR病院ではICU室で三年間働いていた。そのBIR病院で日本青年海外協力隊員である看護婦と一緒に勤務することになった。その隊員が日本でICU看護を学ぶことを勧め、推薦人となって、神奈川県の国際交流課で受け入れている留学生の一人として来日した。
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