ビバ!ラプラタ アルゼンチンの日系人とともに・5
初めての手術介助と分娩介助
藤原 美幸
pp.586-588
発行日 1981年5月1日
Published Date 1981/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919249
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‘今日夕方6時からヒノキエット病院で手術をするけど手伝ってくれる? 僕も助手でいるから通訳はするよ’と医師に言われたのは働き始めて4日目だった.その時私の知っていたスペイン語の医療器材名は‘ピンサ(鑷子)’と‘テヘラ(はさみ)’ぐらいだった.いくら通訳がいるといっても慣れない場で,そのうえ言葉もわからないのではあわてるばかりで手術の進行の妨げにならないかという危惧があった.反面,診療所以外のアルゼンチンの病院を初めて知ることができそうだという魅力を感じた.そして結局は学生時代の実習でしか行ったことのない手術の介助を引き受けた.
5時までの外来診療が終わった後,医師とともにブェエノスアイレス大学医学部の近くにある,オープンシステムのヒノキエット病院へ行った.
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