手のひらで知る世界 目は見えず耳は聴こえずとも・4
なんとか職をもちたい
石井 康子
pp.408-410
発行日 1979年4月1日
Published Date 1979/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918651
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
世話になっている,世話してやっているという意識
お裁縫をみっちり習った,ろう学校の女生徒は,それぞれ縫製工場へ就職し,木工を習った男生徒は家具を作る会社へと就職していったけれど,私の行く道はなかった.学校や積善学園の先生たちも,どのような道へすすませてよいのやら分からなかったというより,初めから進むべき道はないものとして考えもしなかったし,私は私でさっぱりどうしてよいか分からず,卒業したのだから,とにかく周囲の言うとおりに家族のもとへ帰るしかなかった.そして,カリエスで13年も寝たきりの女の人の所へバスで通っておつき合いをしたり,その人が京大病院へ入院したとき,一緒に行って1か月そこにいたりしていたが,しばらくして,米子市のある開業医のところで住み込んで雑用をやることになった.
私はうれしくて,お給料を出すという先生に‘置いていただくだけでありがたいのに,お給料までいただくのは申し訳ない’なんて言って,わずかなお給料をありがたがって,掃除,洗濯,台所のかたづけ,風呂わかし,アイロンかけ,果ては診察室にまで飛び込んで,注射器や包帯の消毒までせっせとやっていた.
Copyright © 1979, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.