特集 カレン裁判—‘尊厳ある死’と看護
カレン裁判—私はこう考える
はたして‘尊厳なる死’なのだろうか
木下 安子
1
1東京都神経科学総合研究所社会学研究室
pp.802-804
発行日 1976年8月1日
Published Date 1976/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917940
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カレン裁判が社会問題としてマスコミに登場して以来の疑問で,いまもすっきりしないでいることがある.それはこの裁判が果たしてカレンという一女性とその家族をめぐる‘尊厳なる死’について争われているのだろうか,という点である.
そして,この問題と私が日ごろ接している神経難病の患者がレスピレーターをつけてあえぐ姿と,その家族の苦闘,そのすさまじい生きかたが二重写しになってくる.私たちの援助している患者たちの場合でも,家族がレスピレーターを止めることを願う,あるいはチラッと,その病人の死を認めたい気持ちに襲われることが皆無ではない.しかし,そうしたとき,患者および家族を取り巻く外的条件が大きな問題としてのしかかっている事実をたくさん見ている,医療費のわく外のばく大な支出によって,家計が窮迫化してくる.加えて重症患者を抱えての極度の緊張と看護,人間の忍耐の限界を超える疲労の蓄積がある.社会からの疎外もある.こうした病人を抱えた家族の悲惨な実態は,カレン一家にはないかどうか,である.もし,それらが全くないということが確認され,その上目立たない限り,‘尊厳なる死’を考えたり,発言したりすることはできない.
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