東京看護学セミナー・第8回公開セミナーから・3
看護記録の試行—記録はこれでよいか看護技術化のステップとしての記録を考える
川島 みどり
,
長谷川 雅子
,
荒木 久恵
,
小野 久子
,
桑野 タイ子
,
小林 三代子
,
柏原 澄子
,
長谷川 美津子
,
宮崎 和子
,
山根 美代子
pp.1602-1610
発行日 1972年12月1日
Published Date 1972/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916521
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看護業務の中に‘看護記録’の占める位置は大きい.誰しも看護記録は必要であると考えている.だが,この記録が実際にはどのように活用されているであろうか.看護の技術を高めるうえでの資料として役だっているであろうか.
看護行爲の結果の記録であり,記録のための記録であってはならないという.しかし,はたして看護行為が記録に反映しているであろうか.看護業務改善のための1つの問題提起として,また,看護技術確立のための前提としての‘実践の言語化’の手段としての記録について考えてみよう.
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