特集 新しい周産期記録のあり方
「看護を記録する」ということと「看護を考える」ということと
岡部 恵子
1
1日本看護協会看護研修センター
pp.134-139
発行日 1991年2月25日
Published Date 1991/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900262
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看護記録について書く前に
雑誌「看護」でも昨年の10月号で看護記録に関する特集を組んでいる。特集のテーマを「看護記録に悲鳴──いま,発想の転換を」とし,7つの論文が掲載されていた。が,「悲鳴!」はほとんど聞こえてこず,相変わらず真面日な看護職集団であることを再認識させられもした。わずかに香川医大病院の田間氏が,看護部長という看護職集団の最高責任者としての悩みとしてだろうか,こんなふうに書かれているのが興味深かった。
「『看護記録に悲鳴』と題する特集に,コンピュータ化についての小文を私に命じられた編集子の悩みの深さを考えて,いやさらに看護記録の病いの重さのようなものを感じる。こう言っている私自身を含めて,笛吹けば一斉に踊り始める遺伝子を持った看護婦たちによってどんどん記録の洪水と記録のための時間に息絶え絶え,といったところか。『魔法使いの弟子』が師匠の留守に,魔法を使って掃除を始めたが中止の命令をどうすればよいのかわからなくて困り果てているかのように」1)と。
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