抵抗の女(ひと)・イーディス・キャベル
孤高の人
高見 安規子
1
1東大看護学校
pp.52-55
発行日 1971年9月1日
Published Date 1971/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916122
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■看護学校開校
1907年10月1日,看護学校エコール・ベルジュは開校した。ブリュッセルの南エクセルのクルチュール通りに面した4軒の家が,その建物としてあてられ,1階と地階に連絡通路ができて,診療所付きの看護学校の体裁が整えられたのである。第1の家には,1階にイーディスのオフィスと居間と寝室,2階と3階に学生たちの寝室。第2の家には,1階に学生たちの居間と食堂,2階に病室,3階に手術室と消毒室。あとの2軒の家には病室,患者待合室,医師たちの会議室などが配置された。
イーディスの仕事は,なによりもよい生徒を集めることだった。先にものべたように,「看護婦」というものに対する当時のベルギーの人びとの認識は,イギリスでいえば100年ほど前のそれにも等しいものだったから,イーディスの苦労はひととおりではなかった。彼女は,宗教的献身からではなく,独立した職業としてやる気のある良家の子女を望んでいた。志望者が少ないからといって,けっして程度を下げてはならない,と彼女は心に決めていた。その結果5人の生徒が入学を許され,25人の患者が収容されたのである。
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