抵抗の女(ひと)・イーディス・キャベル
円熟期に向かう人生
高見 安規子
1
1東大看護学校
pp.72-75
発行日 1971年8月1日
Published Date 1971/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917766
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■3年間の夜勤看護婦監督
セント・パンクラス病院は,1885年に創設されたいわゆる救貧病院である。当時の救貧法によって発足した首都救貧委員会が,貧民を対象としたこれまでの施療院的な暗いイメージを追い払うべく,建物もあらたに,より積極的な社会改善をめざして設立した病院の一つであった。この制度が,とりもなおさず現在の社会保障制度の一環をなすようになるわけだが,当初は,病気のはきだめとでもいいたいようなものだった。つまり救貧病院は,その地区の病気の貧民をいっさい引き受ける義務と,さらには私立病院からはみ出た患者を受け入れる慣習との二つを,ともに背負わされていたからである。
夜勤看護婦監督として勤務についたイーディスは,すぐに,この病院がロンドン病院とはまるでちがっているのに気がついた。病気の種類からいえば,伝染性のもの,慢性のもの,長期療養を必要とするもの,あるいは性病,アルコール中毒,はては精神病まで,あらゆるものがここにはあった。患者の数についていえば,頼ってくる患者は原則として断わることができなかったから,定員の倍に達することもめずらしくなかった。これに対して,これら不幸な人びとを迎える病院側のスタッフはどうかというと,医師たちはがいしてパッとせず,研究者的というよりは,普通の地区医師とかわりないような性格の者が多かった。
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