抵抗の女(ひと)・イーディス・キャベル
第一次大戦から予期せぬ方向へ
高見 安規子
1
1東大看護学校英語
pp.46-49
発行日 1971年10月1日
Published Date 1971/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916148
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■看護学校はさらに発展
1912年デパージュ博上は,コローニュ(ケルン)で開催された国際看護婦会議に次のように報告している──「ベルギー看護婦学校は大きな成功だった。1907年に創立されたが,今では三つの病院と三つの看護婦会と,ブリュッセルにある24の学校と13の幼稚園に看護婦を送っている。われわれの学校の創立は,ベルギーの看護のバロメーターになってきたのである……ミス・キャベルのスタッフは,今では,資格をもったもの,目下修業中のもの合わせてゆうに100人をこえている……この立派な仕事を拡大していくためには,クルチュール通りの4軒の家よりずっとよい建物と設備が,なんとしても必要である」
この同じ年,学校の委員会は,新しい建物をつくるための募金委員会を組織し,着々と準備をすすめていた。
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