看護の潮 明日の看護婦へ
わたくしの修業時代
戦争に明け暮れたかけ出し時代
森 幸
1
1国立京都病院産婦人科
pp.34-36
発行日 1968年3月1日
Published Date 1968/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913906
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3年課程を2年に短縮されて卒業
私は大東亜戦争も終わりに近い昭和20年3月,日本赤十字社救護看護婦養成所3年修業課程を2年に短縮され卒業した未熟児です。なぜ,2年にくり上げ卒業になったのか,詳しい事情は知る由もありませんが,今にして思えば戦争のさ中でもあり,救護班員に対する要求の大きさが戦火のきびしさを物語っていたのでしょう。
その当時,内地の病院を担当している者といえば,修業課程を短縮してまで看護婦を必要とした時代なので,卒業生の病棟婦長一人と,あとは,学生で病棟の看護業務をきりまわしておりました。
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