看護の潮 明日の看護婦へ
わたくしの修業時代
勉強の合い間楽しんだ古都の春秋
永井 トシエ
1
1国立がんセンター
pp.32-34
発行日 1968年3月1日
Published Date 1968/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913905
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京都の4月は桜の花だよりとともに地方からお上りさんがやってくる。昭和の初期,私もお上りさんの一人として希望にみちて京都大学病院の付属看護婦養成所に入学した。クラスメートは50名,ほとんど地方出身者であった。
玄関を入ると舎監室があり,手入れのゆきとどいた中庭を囲んで5室,1室20畳ぐらいのところに同級生10名が入室した。室長さんは大変な勉強家で,YMCAの英語学校に通学し,いつもリーダーを手にしていて,日曜日でも中庭に出て読書しているような方であった。舎監さんにも病舎の中でも非常に信頼されていた。舎監さんは小児科の婦長さんで,茶道,華道に造詣が深く,おくれ毛が1本もないきれいなお髪で,身の回りはいつもきちんとしていて,あだ名が“天神さん”ということも,入学3日後には知っていた。
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