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2017年7月刊行の『芥川追想』(岩波文庫)所収,横須賀海軍機関学校篠崎学生,のちの終戦時厚木飛行隊篠崎礒次司令への聞き語り記録「敗戦教官芥川龍之介」は「人間芥川」を活写した出色のものに思われる.芥川が「敗戦教官」と呼ばれたのは勝利謳歌の教材を敗戦の悲話,衰亡の歴史に変えたからである.当時は第一次世界大戦のさなかである.講義中,軍港海上から響いてくる大砲の大音響に,「いまごろ,ヨーロッパではばかなことをしているだろうな?」とひとりごちし,「どうしてばかなことですか?」と気負う学生に「君にはそれが分からないのか? 『人殺し』をやっていることが,ばからしいことなのだよ」と言下に答えたという.2017年12月,フィリピン沖海底に沈んでいるのが発見された戦艦「山城」は当時の最新鋭艦であったが,見学後,彼は戦争の規模が大きくなり防御の軍備が重要になったのに,「山城」には防御の備えがないと指摘したという.若い篠崎学生の脳裏には芥川のこの防御的軍備観が強く焼きついて,後年欧州を軍事視察した際に,さらに戦後再軍備が論じられるようになっても,なお頭から離れず,日本,ドイツの敗北を考え合わせ,「天才芥川」を憶ったという.無敵海軍を誇示していたころのわが国にあって,さすがに芥川は巍然として屹立した存在だったようである.1917年ごろのことで,彼はまだ25歳であった.今からざっと100年前のことである.
それから下って70年,1989年5月,第72回中部日本整形外科災害外科学会において笠井實人博士(写真)による特別講演「Aphorismで語る歴史と倫理」が行われた.最後に「戦争とは『人殺し』である.人の命を助けることを目的とする医者の仕事とはまったく正反対のことをやっている.軍医のやることなど,氾濫している河の水を手で汲み出しているようなものであった」という一節が示されるや,会場は大きな感動に包まれた.「人殺し」とはあまりに生々しい表現ではあるが,奇しくも芥川の表現とまったく同じ,戦争の本質を衝いた真率な言葉ではあろう.思えばそれは,4年間の中支,南支における最前線の軍医生活の中で自己相剋の末に自ずと滲み出た,全き実感であったろう.なにしろ,結核がまだ猖獗を極め,栄養不良に混合感染を併発した重篤な胸腰椎カリエスが多かった1957~1967年に,開胸して堂々と前方から徹底して病巣廓清を行い,腸骨移植による前方直達胸腰椎椎体再建術を確立した人である.当時の貧弱な医療事情を考えれば凄いことである.のみならずその後も終始倦むことがなかった.乳児筋性斜頚に対する徒手筋切り術は,多くの乳児や親達の心身両面の負担重圧をほとんど瞬時に解放する大胆かつ細心の手技であって,5,000例になんなんとする膨大な症例数にはただ粛然たらざるをえないのである.大腿四頭筋拘縮症の身体所見「尻上がり現象」の命名者たる事実も,その他数々の業績に添えられた微かな栄誉でもあろう.
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