紙上美術展
西ノ京—薬師寺・1
金子 良運
1
1国立博物館
pp.40
発行日 1953年10月1日
Published Date 1953/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200460
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西大寺で乗換えて橿原神宮か天理行の普通電車に乗ると,2つ目がホームの中程に法相宗大本山薬師寺と大きな石標の立つている西ノ京です.駅前の道を東に1町ばかり,十字路を右に曲ればその儘薬師寺の境内へ,左の方に進むとしばらくして唐招提寺につき当ります.田面の間に農家が点在する至極長閑なそして何の変徹もない片田舍然としているこの附近も,かつては奈良の都の右京六條の地であつて,薬唐の二大寺互に瓦を競い寺詣での大宮人にその威容を誇つた所とは誰が想像できるでしようか.晴やかに着飾つた都びとの姿も今は尋ねる術もなく,ただ崩れかかつた道端の築地,そこかしこに残されている礎石だけが僅かに過ぎし日の雅びを語るよすがとなつています.
現在の薬師寺はちようど眞後から境内に入るように参道がつけられています.講堂の横を通り拔けると朱塗の円柱も清らかな金党が,更にそれを右の方に廻つてゆくと目の前に一段高く西塔跡,そしてそれに対し左にはあの美しい三重塔が仰がれます.中門は金堂の正面のやや奧まつた所にあります.南大門,中門,金堂,講堂などを縦の1直線上に配し,中門と金堂の間には左右に東西両塔を竝べて而も金堂と塔を中門と講堂を結ぶ廻廊の内に抱いているこんな伽藍の配置法はいわゆる薬師寺式と呼ばれるものであつて東大寺や大安寺の配置法とともに奈良時代の最も代表的な寺院プランの一つなのです.
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