ここにこの人が
—し体不自由児に理解と援助を—北療育園看護科長阿部ハナさん
くりはら ひろし
pp.102-103
発行日 1966年4月1日
Published Date 1966/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912713
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●はじめての施設,はじめての看護
正月以来おシメリの無い東京。2月の寒風は容赦なく砂ぼこりをまきあげ,板橋・十条・王子の三角地帯を結んだ高台にある北療育園一帯に吹きすさんでいた。ヘンポンと星条旗と日の丸の旗がひるがえる。緑色にぬったアメリカゾーンに隣接して都の誇る福祉施設はあった。「米軍の厚意により軍施設の一部を肢体不自由児施設・養護学校の建設を条件に接収解除の申出」があって国が東京都に譲渡したという。
阿部ハナ看護科長は,総合診(グラビア参照)に出席されていたのをぬけてこられた。
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