アサームの旅・2
出船
大嶺 千枝子
1
1琉球政府立コザ病院
pp.66-67
発行日 1964年2月1日
Published Date 1964/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912151
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1961年12月19日,私はかっ色の格子縞のスカートとかっ色のトックリセーターに黒のフラット・ローアンバーのH先生のくださった手編みの帽子を身につけて,エプロンがけで近くのマーケットに買い物にでも出かけるようなかっこうで,それこそハーエハーエして見送り客のごった返す中を時間ぎりぎりにすべりこんだ。(ハーエ,ハーエは沖縄の方言で小走りに急ぐこと)同乗する他の3人はすでに乗りこみを待っていた。はじめて紹介された2人の顔もろくに見ずに,親切にしてくださいと頭を下げた。母が何やら一生懸命頼みこんでいるらしかった。とにかくただあわただしさにあと押しされてタラップを登った。
乗船するや否や中国人ボーイが荷を受け取り,どこやらへ消えてゆき,私はサロンでオランダ人から中国人に早変わりした船医に紹介されしどろもどろにあいさつをし,今度は海外移住協会,経済局,外務省の移民監督官などに紹介やあいさつをして移住課長にいろいろ励まされて勇気百倍となった。
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