アサームの旅・3
那覇—香港航路
大嶺 千枝子
1
1琉球政府立コザ病院
pp.80-81
発行日 1964年3月1日
Published Date 1964/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912191
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船には強いつもりの私が,第1日から病院の処置台でゲーゲーとへどをやり出したからたまらない。ドクターがspecialという薬を手にcabinで見るも哀れな姿で看護衣のまま横になる。とにかく胃部といわず胸部といわず不快感はなはだしい。心のわだかまりを味の素にしてローリングとピッチングが交互にリズムをつけて内臓物を攪拌するので,とにかくたまらない。
那覇を出てちょうど1日が過ぎた時刻だろう。《オミネサン,ダイジョブ,タブルーネ》といってdolesserが夕食に誘ってくれた。船はオランダの国籍で香港に本社があり,南米航路として17か年も沖縄に寄港しているらしく,現在は4隻が定期船としてインド洋,南アフリカまわりの航路にあって,まったく知らぬが仏の親戚であった。captain,engineer,officerその他重要な部門はオランダ人が働き,中国人のそれぞれの責任者とで構成されていて,私たち5人(日本1,沖縄4)を入れて150余人の総員であり,captainはその名称から受けるイメージそのままの男性で,定期的な大掃除の検査やlife-boat,消火訓練外以にはあまり見ることもなかった。
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