教養講座 小説の話・28
かなしい女—林芙美子の小説
原 誠
pp.46-48
発行日 1959年1月15日
Published Date 1959/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910772
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林芙美子が死んでから,まる7年たちました。死んだのは昭和26年の夏だつたのです。が,彼女の作品は,7年後の今になつても,いよいよ多くの読者を獲得するばかりで,いつこうにその人気はおとろえません。その点太宰治の文学的人気と似かよつたところがあります。文学的人気というよりも,それは人間的な人気といつたほうがいいかもしれません。
林芙美子と太宰治と,この2人に共通していえることは,人間の弱さ,生きてゆくことの悲しさを,どちらも悲痛な心情をもつてうたいあげていたという点です。一方は女性,一方は男性,そして林芙美子が貧しい流浪の家庭から生まれたのに対して,太宰治は,名門の地主,政治家の家に生まれたというちがいはありますが,人間存在のかなし世界を,それぞれの立場からほりさげていつた,その作業の過程は,ひじように似かよつていたのです。太宰治が自殺したとき,その報せをきいて,林芙美子は,もう生きてゆくのが耐えられなくなつたと述懐していました。人間の宿命をそこにみたのでしよう。そして彼女自身の死も,まことにはかなく,悲しいものでした。昭和26年の6月28日に,「主婦之友」に連載予定の原稿の仕事で街にでて,食家を済まして家にかえり,その夜11時すぎに床にはいつてから間もなく苦悶しはじめ,胃のなかのものを吐瀉すると同時に,呼吸がやんでしまつたのです。純徳院芙蓉清美大姉というのが彼女め戒名。49歳でした。
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