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林芙美子のこと
和田 芳恵
pp.50-52
発行日 1957年2月15日
Published Date 1957/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910287
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私たちは,逢つているときでも,林さんということはなく,「お芙美さん」と呼んでいました。ちようど,武田麟太郎を武リンと云つた方が親しい感じをあたえるのですがそうかと云つて,面と向つて「オイ,武リン」と呼ぶ人はなく,みな蔭で云つていたのです。そういうりんとした気圧を武田が持つていたことにもなりますが,やはり,そういう親しい人をもたなかつただけ,武田さんは孤独でありました。どんなに酒をのんで,はしやいだようにしていても,底をついた空漠さを武田さんは,がつちりした体なのに感じさせました。それなら,林芙美子という小説家は,孤独でなかつたかと云えば,たぶん武田さんより,も,もつと,もつと孤独だつたにちがいありません。それなのに,どうして,みな親しくお芙美さんと呼んだのでしよう。こういう呼び方をされた作家は芙美子きんの外にはありませんから,林芙美子という人を考える場合に重要さを持つてきます。
(も)う,晩年にちかい頃ですが,金沢の徳田秋声の建碑式に参列した帰り,関西をまわつて,どこかの名家から出たルノアールの薔薇の絵を買つてきたことがあります。その絵の値は50万近いものでした。買つてから,額縁と絵がしつくりしていないため,贋物ではないかと思つたらしく,梅原龍三郎の鑑定をうけほんものときまつてそれをしまつて置く桐の箱に箱書をしてもらつて帰つたところへ私がちようど行きあわせました。
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