教養講座 小説の話・7
田山花袋と島崎藤村
原 誠
pp.68-72
発行日 1957年1月15日
Published Date 1957/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910274
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田山花袋は群馬県の片田舎にうまれ,島崎藤村は信州の木曾にうまれ,徳田秋声は金沢にうまれ,岩野泡鳴は淡路にうまれ,正宗白鳥は岡山県の田舎にうまれ,真山青果は仙台にうまれ……と,こう書きならべてみると,日本の自然主義作家といわれる人たちは,みな田舎でうまれています。東京出身の人はほとんどなく,これがひとつの特徴にさえなつています。そこで自然主義に対立する人たち—反自然主義陣営の文学者たちはこれを指摘して,日本の自然主義はドロ臭いとか,田舎者の文学だとか悪口をたたいているのです。と云つて,まさか都会うまれの者でなければ立派な文学者でないというわけではありますまい。どこでうまれたつてかまわないわけですが,日本の自然主義作家の場合,やはりそう悪口をたたかれるだけ,ドロ臭く,田舎臭かつたのです。それこそ日常茶飯の箸のあげさげ,煙草の吸い方,朝のあかるさ,夕べのタソガレなど,ひとつひとつを克明に,ダラダラと書きつらねているのです。「小説,それは街路に沿つて持ち歩く,ひとつの鏡である」という考え方からすれば,何もかも克明に精確に写しとるというのは結溝なことなのですが,もう少し工夫があつてしかるべきだと思われます。描写が平板すぎるといわれ,遅鈍だといわれ,退屈な文学だといわれるのは,一体どうしたわけなのか。どこかに誤謬があつたのです.
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