追悼 島崎敏樹先生を偲ぶ
島崎敏樹君の思い出
臺 弘
1
1山田病院
pp.656-657
発行日 1975年6月15日
Published Date 1975/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405202335
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親しい友人の追悼の文章をまた書くことになった。島崎流のせりふを借りれば,遠く前方を見ながら肩を組んで歩くのが友人というものだから,ふと振り向くと隣にいるはずの仲間がいなくなっているというのは,肩が落ちるほどに淋しい。3年前,江副勉君が去り,今度また島崎君が去った。こんなにも個性的ですぐれた仲間達と,それぞれに付き合うことのできた幸せを思うべきなのだろうか。
島崎君は私と小学校が同じで,彼のほうが1年上だった。大学に入ってから,同級生の中に彼独特の親しみのある笑いかけに出会って,とたんに記憶がよみがえった。しかし本当の友達付き合いが始まったのは,卒業して一緒に内村先生の教室に入れていただいてからである。当時,医局長の井村恒郎さんの下に集まっていた仲間は,今考えても得難い人達だったように思う。もっとも新米の医者は誰でも医局の仲間をそのように見るのかも知れない。しかし,その中でも島崎君は冴えていた。それはうらやましいほどだった。
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