Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
島崎藤村の『ある女の生涯』―対話性幻聴の自己由来性
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.1200
発行日 2006年12月10日
Published Date 2006/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552100437
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1921年(大正10年),島崎藤村が49歳の時に発表した『ある女の生涯』は,その前年に東京の精神病院で死亡した長姉そのをモデルにした小説である.藤村の長姉は,統合失調症を思わせる病のために根岸病院に入院し,65歳で亡くなるのだが,『ある女の生涯』にはこの長姉が示したであろうさまざまな精神症状が描かれている.なかでも印象的なのは対話性幻聴を思わせる表現で,この作品には,主人公おげんの内面に関する次のような描写がみられる.「おげんの内部にいる二人の人がいつの間にか頭を持ち上げた.その二人の人が問答を始めた.一人が何か独語を言えば,今一人がそれに相槌を打った」.
藤村は対話性幻聴を思わせる会話を,おげんの内面に定位させる形で描いているのである.しかも,おげんの内部にいるという二人の間では,「熊吉はどうした.熊吉はいないか」「いる」「いや,いない」「いや,いる」とか,「しッー黙れ」「黙らん」「なぜ,黙らんか」「なぜでも,黙らん」といった,対立的・論争的な会話が交わされている.こうした対立性・論争性は対話性幻聴の特徴であって,そうした特徴を藤村は「同じ人が裂けて,闘おうとした」と表現しているが,『ある女の生涯』には,このほかにも対話性幻聴を思わせる次のような会話が描かれている.「俺はこんなところへ来るような病人とは違うぞい.どうして俺をこんなところへ入れたか」「さあ,俺にも分からん」(中略)「お玉はどうした」「あれは俺を欺して連れて来ておいて」「みんなで寄ってたかって俺を狂人にして,こんなところへ入れてしまった」.
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