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女の十二ヶ月—五月・木と女
村田 修子
pp.42-44
発行日 1955年5月15日
Published Date 1955/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909832
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友子はアルバイトしながら女子大学に通うどちらかと言えば利巧過ぎる女である。十五も年のちがう姉のひろ子は代議士夫人で友子にくらべれば気がよわく,何かというとすぐ頭痛がすると言つてへたばってしまうような女である。十になつていた一人娘を亡くしてからは殊にその“頭痛もち”がひどく,夫も外出がちなので自分を支えてくれる,助けてくれる誰かが必要であつた。それで友子が女子大学の寮から,この姉のひろ子の応接間に越してきたのである。つまり,妹の友子の方がむしろ,上の立場にあつた。そして姉のひろ子が何よりの生甲斐に感じていることは,亡き娘の心を供養する意味で月に一回,夫から一万円づつ出してもらつて近所の引揚者や母子寮の子供達をよんで,御馳走をたべさせたり,余興をみせてやつたりしてなぐさめてやることであつた。そうすることで自分をも慰められているのであるが,このことを,友子は姉さんの慈善事業と皮肉つて,頭痛やみとあまりかわらないひろ子の病気のように考えていた。(もつとも,これは,夫の代議土当選に一役を演じたのかもしれないが……)。ともあれ,友子は姉のこういう生活をやどり木の生活だと軽蔑して夫の経済力のみにたよつて生きている女,自分というもののない女として,気の毒にも思い,腹立たしくも思つていた。
友子にはやはり,アルバイトをやつている学生の光宗というボーイフレンドがあつた。いや,ボーイフレンドというより,将来の夫として,友子は考えていた。
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