発行日 1954年11月15日
Published Date 1954/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909690
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“園の小百合,なでしこ,垣根の千草,今日はなれ(汝)をながむる終りの日なり思えば涙膝をひたす,さらばふるさと......”
真木子は山のふもとの家までをちようどとおりかかった荷馬車にのせてもらつて,この「故郷をはなるる歌」を口ずさんでいました。この歌は真木子がかつて声楽家を志望して東京の音楽学校に行くようになつた時,この故郷の山をはなれる時に歌つたものでした。真木子が音楽学校を中途でやめなければならなくなつた理由は家の製材業を父の死後代つてやつていた兄が病気になつたので,真木子が,又その兄にかわつてやつていかねばならないためでした。戦災で家を焼いた人達のために製材の仕事は息もつかせない位の忙がしさで真木子はその製材のおがくずの中で青春の夢もすてて“みんなが住む家をまちあぐんでるから”と夢中で働きました。それといつしよに真木子はまた兄の病気とも鬪っていました。今,その兄のために卵をうむにわとりを5羽ほどゆずりうけに山から材木がきられてくるまでの間の時間を利用して出かけたのでした。(併し,兄は病床でそんな真木子の姿に感謝しながら,真木子の花婿の心配をしておりました)荷馬車にゆられながら歌つている真木子の声に追いつこうと懸命に自転車のペタルをふんで野づらをはしつてきたのはその花婿の候補者になつている××組の会計課長の相田でした。
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