病床児慰安実技講座
お話とお遊び(2)
粟津 実
1
1児童文化財研究所
pp.64-69
発行日 1955年4月15日
Published Date 1955/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661909795
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童話コース
話者の表情 どんな子供でも『お話をしてあげましようか』とさそつて,『お話はキライよ』という子はメツタにない。それほど子供はお話が好きなのだ。お話をきくことは,彼等にとつて生活の大事な部分であり,それは無意識ではあるが大切な勉強であり,生きがいなのである。子供が机によりかゝつて瞑想にふけつていたりしては大変だ,目を見はり手に汗を握つてきき入る姿に“幼ごころ”があるのだ。“口あいて落花ながむる子は仏”とは句仏上人の名句だが,病慰童話は視聴覚教育である。視覚は変だという人の意見が出るかと思うが,私はタッテ視覚を加えているのである。一般の童話に於てもいえると思うが,病慰童話に於ては特にこの視覚が重要なのである。一対一の“おねんね話に”於て,話者の表情は最も大切な存在となるのである。和顔愛語というが,どこまでも“慈顔愛語”でなくてはならない。病床児に対して悲母観音であり聖母マリヤでなくてはならない。保育園などに於ても,若くて美しい保母さんが要求される。“若い”ということの意義は前号で述べたが,“美しい”というのは美女のことと受取つて貰つては困る。私がいう“美しい”は,合掌の心を知る人の姿と解釈して貰いたい。神仏に対しては勿論のこと,人に対して,ある時は子供に対して,拜める心の持主をさすのである。
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