発行日 1948年10月15日
Published Date 1948/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906385
- 有料閲覧
- 文献概要
瀧つぼのめぐりを,足にからまる深い草を分けて歩いていつてゐると葉子は思つてゐた。草にからまれて歩きにくいだけでなく,冷たい霧が紫いうに立ちこめてゐて,絶へず耳のそばを後へ後へと流れ,ニカワ質か何かのやうな感觸の耳の後の皮膚のあたりから,後面部にかけて,その霧が吸ひ込まれてゆくやうにうそうそと寒い。慄へるやうに寒い。おお,たまらない,と思ふと,實際は瀧つぼではなく,いつか女學生のむかし,兄や兄の友人の澤谷などといつしよに濳つていつた鐘乳洞の中だと思つた。
「大丈夫ですよ,大丈夫です。」澤谷が呼んでゐる。どこだろう。薄氣味惡い冷たさ,暗らさのなかで,懸命に瞳をみはつてゐると,ふいに,「どうも,大變ありがたうございました。」
Copyright © 1948, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.