発行日 1948年10月15日
Published Date 1948/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906387
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86歳になる草二郎は,80の峠を越えると一しよにどつかり力がぬけ野良仕事には出られなくなつた。そのかわり孫のもりは一手にひきうけ柿の木の下であそぶのを常とした。あそんでやつた子が13になり9つになり一ばん小さいのが5つになつた。もう柿の木の下であそべないほど爺さんはよれよれになつた。そして,4,5日まえから床に入つたきり出てこなかつた。彼は家人の出拂つたすきに床から這ひ出て床の間の床柱まで這つて行き,床柱につかまると,誕生ごろの赤兒が物につかまつて立ちあがるみたいに,脚をブルブルふるわして立ちあがつた。床柱は楓の自然木の古木で,ちようどナゲシから2,3寸のところにホラ穴があいていた。彼は必死の形相で脊のびをし—脊のびをしながら彼は,穴に手をつつこむのにこう骨がおれるとは,これはいよいよ先がないかな,と考えたのだが—ともかく新聞紙につつんだ一握りの四角いものをとう出すことができた。
私はいま彼を必死の形相でと書いたがその形相が新聞紙の中を覗くと同時に滿足の相に一變したことをつけ加えねばならない。あやしく眼が輝き,ポーツと顔に血の氣のさしたのもうそではない。札束。1萬圓の札束の3分の1ぐらいの札束。ほかに10圓紙弊が4,50枚。それを彼はしばらく,夢心地でながめていたが,やがて得心いつたと見え,ペロリと指先をなめた。3枚疊の上に置いて,あとは新聞紙につつんでもとのように穴におさめた。
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