連載 考える
看護すること—てつがく自由自在・4
定点
鷲田 清一
1
,
満田 愛
2
1大阪大学大学院文学研究科臨床哲学研究室
2大阪大学
pp.375-378
発行日 1999年4月1日
Published Date 1999/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661905818
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「わたしの」もの
「恋文」なんて言えば古臭いなあと言われそうですが,ラブレターはいったい何を伝えようとしているのか,などと問うのはばかげたことです.わたしはあなたが好き,あなたを愛していますというメッセージ以外,恋文は何を伝えるというのでしょうか.メッセージとしてはそれだけのことなのです.
なのに「恋文」はぜんぶちがう.それがだれからのものか,すぐに受信者に分からないような「恋文」は失敗です.わたしがいまどんな思いでいるか,どれほどあなたを愛しているか,それをあなたに伝えるのでなければならない.だからそれはどうしても「わたしの」ものでなければならない.それが「恋文」というものでしょう.だからそれは,ときに寡黙なほうがいいときもあるし,封筒や便箋が合図になっているときもある.ポストカードの写真に思いを込めるばあいもあるし,意表をつく渡し方というのもある.
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