招待席
精一杯取り組むことが自分のキャリアに―社会の中の看護を探求し続けて
臼井(笹鹿) 美帆子
1
Usui-Sasaka Mihoko
1
1「花の宿 松や」
pp.769-773
発行日 2005年8月1日
Published Date 2005/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661100182
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――臼井さんは,『看護学雑誌』へ登場していただいた1996年当時,日本で初めてのクリティカルパス作成に携わっていらしたことが印象に残っています.現在も日本クリニカルパス学会の評議員を務めておられますが,深く長くかかわるようになったきっかけからお聞かせいただけますか.
臼井 クリティカルパスの作成は,勤務先である東京都済生会中央病院の方針でした.ちょうど私は米国で修士号を取得して帰国したときで,ナース・プラクティショナーという立場で,開業医に付いて医師と看護師の接点みたいなものを学び,それをうまく調和させてパスがつくれないかというところにいただいた話でした.しかし,これは中途半端なかたちで導入してしまうと,勤務先の病院はもちろん,医学界にも看護界にも大きなダメージを与えると思い,「徹底的にやりましょう」と引き受けたのが最初です.また,米国の医療背景,生活背景や価値観を考慮に入れ,日本との違いをしっかり踏まえたうえで導入を進めていかなければならないと思いました.日本と米国の橋渡しをするのが私の役目だと気負っていました.
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