連載 フランス出産事情—変わりゆく出産・助産婦・病院・14
フランスの産院を訪ねて③—根本的変革を志向するリラ
舩橋 惠子
1
1桜美林大学国際学部
pp.846-852
発行日 1991年9月25日
Published Date 1991/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900418
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ブルエへの道
「ラマーズ法」のラマーズ博士が活躍した産院を訪ねることになったのは,本当に偶然のきっかけからであった。フランスの助産婦雑誌「les Dossiers de l'Obstétrique」のオフィスを訪ねた際に,数人の医師や助産婦が集まってちょうど編集会議が開かれるから立ち会うように誘われ,日本の社会学研究者なんて珍しいと,いろいろ話し合っているうちに遅くなってしまい,たまたま同じ方向へ帰る助産婦カーエンさん(Janine-Julie CAEN-BENHAIM)が,車で送ってくれた。帰りの車の中で話が弾み,彼女がラマーズの産院ブルエで働いていること,子どもを抱えて大変だけれど仕事に張り合いを持っていることがわかり,そして「ぜひブルエにいらっしゃいよ」というお誘いにのって,トントン拍子にブルエ訪問の日程が決まってしまった。
「ラマーズ博士の産院」は,パリ11区の労働者街にあり,その所在地(ブルエ通り9番地)の名をとって「ブルエ産院」とも呼ばれる。パリで評判の産院のひとつである(注1)。地下鉄をおりると,いかにも下町らしい雰囲気で,アラビア文字の石板が随所にあるところから見ても,移民の多い貧しい地域であることがうかがえる。
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