連載 フランス出産事情—変わりゆく出産・助産婦・病院・11
フランスの産院を訪ねて①—移民の出産,ル・アーブル
舩橋 惠子
1
1桜美林大学国際学部
pp.344-351
発行日 1991年4月25日
Published Date 1991/4/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611903287
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ル・アーブルへの道
「ル・アーブルに来ないか」と誘ってくれたのは,ジャン=ピエール・カステラン氏(Jean-Pierre CASTELAIN),ル・アーブル総合医療センターで看護婦の研修教育に従事するフランス人の人類学者である。出会いは,CNRS(フランス国立科学研究センター)の長期国際比較研究プロジェクト「伝統と現代」の1988年1月合宿シンポジウム(注1)で,同じサブグループ「出産医療」に属したところから始まる。この3泊4日の合宿で,私は,多くの出会いと新鮮な体験をしたが,一番大きかったのは,アフリカ人研究者と親しく交流できたことであった。フランスに暮らし始めてから,フランスとは白人の国ではなく異民族のるつぼであること,私たち日本人の持つイメージとは違って,褐色の肌が多いことを日々の生活の中で実感してはいたが,実際にアフリカの人と親しく握手したりしたのは,生まれて初めてだった。この合宿以来,アフリカは,私にとって固有名詞つきの存在となった。そう,フランスは,アフリカを内包した国なのだ。
ル・アーブノレはパリから特急で2時間ほど北西に行ったところ,セーヌの河口にあるフランス第二の港町である。アフリカ特にセネガルからの移民が増加しており,アフリカ女性は多産であることも手伝って,ル・アーブル総合医療センターの産科では,アフリカ系移民の出産が急速に増加しつつあった。
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