海外事情
ウィーンでのヨハン・ペータ・フランクの事跡を訪ねて
華表 宏有
1
1産業医科大学
pp.175-177
発行日 2010年2月15日
Published Date 2010/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401101745
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ヨハン・ペータ・フランク(Johann Peter Frank/JPFまたはフランク,1745~1821年)は,その生涯を賭して『完全な医事行政の体系』(6巻)をまとめ上げた衛生学者として,医学の歴史にその名前をとどめている.先に筆者1)は,彼の故郷ロダルベン(ドイツのファルツ地方)を訪ね,新たに命名された生家前の「JPF広場」とそこに建立された一連の記念碑について,その概略を記した.
はじめてロダルベンを訪問した際に,当地で入手したJPF協会編集の文献2)から,彼が勤務したさまざまな土地に,事跡があることを知った.そこで2008年4月,2回目のロダルベン訪問の後,ブリュクザル(バーデン地方),イタリアのパヴィア,コモを訪ねた他,ウィーンでフランクの事跡を見てまわった.ウィーンには2008年10月にも1週間ほど滞在して,医学関連の事跡を見学したが,その際に参考とした文献は,2人の麻酔医(ウオルフガング・レガルとミカエル・ナヌート)がまとめた医師のための案内書3)とエルナ・レスキのウィーン医学史4)である.
本稿では,ウィーンにおけるフランクの活動の舞台となった旧総合病院(Allegemeines Krankenhaus/AKH),そして現在は医学史博物館となっているジョセフィヌム(Josephinum)の成立過程などにも触れながら,彼にまつわる事跡について述べてみる.
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