連載 とらうべ
「大地の如き母」をとりもどさなければ
花崎 みさを
1
1養護施設「野の花の家」
pp.779
発行日 1991年9月25日
Published Date 1991/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900404
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日本が難民条約を批准した1981年の3月に,にわかに私は母親になった。それも17歳の少女の,である。そして次々に9人の子の母親(インドシナ難民の子どもの里親である)となり,泣き笑いの生活の中で,「親」とは何なのだろうと考え続けた。
6年前,養護施設「野の花の家」を作り,家庭で養育してもらえない子どもたちの「親代わり」「家代おり」をしながら,「母」の役割の重さについて,考え続けた。
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