連載 アメリカ母子保健活動の金字塔・4
メアリー・ブレッキンリッジとフロンティア・ナーシング・サービス
Nancy Dammann
,
小玉 香津子
1
,
尾田 葉子
2
1神奈川県立衛生短期大学
2日本看護協会
pp.693-700
発行日 1989年8月25日
Published Date 1989/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207680
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
V.助産婦の働き
大恐慌*のときを除いては,1つの地区には2人の助産婦が配置されていた。地区センターは,建物の片側がクリニックと待合室,もう片側が宿舎という造りであった。暖炉ときれいなカーテン,それに居心地のよい家具の置かれた大きなリビング・ルームは,センターの中心であった。ベッドルームは,2人の助産婦.メイド,そして来客用とあり,それにバスルームと広い台所があった。水漆喰の壁の広い馬小屋には,馬具置場と4つの馬房,干し草置場があった。
センターには,家政婦兼メイドと馬小屋係がおかれていた。助産婦たちは,何時間も鞍に揺られて夕方帰りつくと,馬の手入れをして餌をやる。彼らの肉体労働はこれで終わりだった。地区を巡回して帰ってきた助産婦が,牛の乳を搾り,ニワトリの餌をやり,灯油ランプを磨いて灯を点(とも)し,ミルクからバターをつくり,火をおこし,家の掃除まですることはとてもできない,とミセス・ブレッキンリッジは考えたのだ。
Copyright © 1989, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.