連載 気功の精神世界・5
病は気から
津村 喬
1
1関西気功協会
pp.704-705
発行日 1989年8月25日
Published Date 1989/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207682
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同じ「気」という言葉を使っても中国と日本ではだいぶニュアンスが違います。「てのひらに気を集めて。手が温かいでしょう」というふうなことをしているときに,「気のせいだよ」と日本語でいいますと,そんなことは起っていないのだが起っているような気がしている,ということになりますが,中国的ないいかたでいえば,「気が手に移ってきたから温かい」という事実を説明する言葉になります。おなじ「気のせい」でも否定と肯定と両方の意味になるのです。
これはどういうことかというと,中国語では「気」はとにかく存在しているものと考えるのに対して,日本語では気持の気,心理状態というニュアンスが強いということです。しかし,日本語でも「天気」などというとぎは心理とは関係なく「天が変化するさま」を指しますし,「気配」などといってもただ心理的なものでなく現実の「気の配置」への感受性という意味があります。一方,中国的な使いかたでも,「気を集める」とは「気を集めたとイメージする」ということですから,いずれにしても「物質と意識の相互作用」,そのちょうど境目のところが問題になっています。
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