連載 アメリカ母子保健活動の金字塔・8
メアリー・ブレッキンリッジとフロンティア・ナーシング・サービス
小玉 香津子
1
,
尾田 葉子
2
,
Nancy Dammann
1神奈川県立衛生短期大学
2日本看護協会
pp.166-169
発行日 1990年2月25日
Published Date 1990/2/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900036
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
Ⅸ 第二次世界大戦のとき
1939年9月3日のヨーロッパでの宣戦布告*は,フロンティア・ナーシング・サービス(FNS)に大きな打撃を与えた。FNSの助産婦の3分の1はイギリス人で,彼らは自分の国のために働きたいと帰国を希望した。1940年までに,病院監督のマッキノンとレスターを含めて,11人の助産婦が辞めていった1)。
新しい助産婦をイギリスから連れてくることも,アメリカの看護婦をイギリス助産婦学校に送ることもできなくなった。そうなると,FNSが学校を開いてスタッフに助産教育をするしか道はない。しかしそれはミセス・ブレッキンリッジが長年温めていた夢でもあった。
Copyright © 1990, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.