連載 アメリカ母子保健活動の金字塔・3
メアリー・ブレッキンリッジとフロンティア・ナーシング・サービス
Nancy Dammann
,
小玉 香津子
1
,
尾田 葉子
2
1神奈川県立衛生短期大学
2日本看護協会
pp.506-510
発行日 1989年6月25日
Published Date 1989/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207642
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Ⅳ.奥地のナーシング・センターとハイデン病院
最初のナーシング・センターは,1925年9月1日にハイデンで店開ぎした。長老派の教会学校を借りたのだが,建物には水道の配管もなかった。だが,医療への要求は切実であった。9月中にクリニックを訪れた人は233人,延べ531件にのぼった。12件のお産の予約が入り,そのうち4件は月末までに出産した1)。
秋になって,FNSはたくさんいる重症患者の第一陣を,ルーイビル,レキシントンおよびシンシナチにある協力病院に送った。患者は,重い火傷のこども,糖尿病患者,事故の怪我人などであった。それは骨の折れる旅であった。患者はまず馬の背に乗せられて,30マイル(約48km)以上先のクリプトンにある鉄道の支線に運ばれ,そこから,ルーイビルとナシュビルの鉄道の提供による無料乗車券で,夜行列車で病院に送られた。
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